レポート・コラム

【理事長論説】賃金引き上げによる消費への影響(若生幸也)(2024年5月1日)

賃金引き上げによる消費への影響

1.はじめに

 政府や日本銀行は、「所得と物価の好循環」を旗印に政策を展開している。所得と物価の好循環には、勤労所得である賃金の引き上げが家計の消費拡大につながることが前提となる。基本的な消費理論から整理すれば、足元の実質個人消費は、将来に向けた実質所得の総額と実質金利の見通しで決まる。したがって、賃金と物価が同レベルで上昇すれば国民生活の質は原則として今と変化しない。このため、消費拡大による国民生活の質の改善には、名目賃金上昇が物価上昇をどれだけ上回るかがポイントとなる。しかし、その点は企業の収益構造を含めた日本経済全体の分配の適正性問題に影響を与える。
 新しい資本主義の下でこの政策が掲げられてから2年半以上が経過する。現時点でも家計の消費活動は本格的な回復段階には結び付いておらず、国内消費や国民生活の質に与える政策のインパクトは国民の視点からは不透明なままである。そこで本稿では、まず賃金引き上げに限定し家計の消費にどのような影響を与えるかを基本的な点から概観する。その上で次回以降は金融資産との関わりや持続的成長のための分配のあり方について順次見ていくことにしたい。

2.賃金引き上げによる消費への影響

(1)定期収入平均世帯における消費への影響 

 連合2024年春闘の第4回回答集計結果によると、全体で5.2%の月例賃金改善の回答が出ている[1]。これは昨年比1.51ポイント上昇の高い水準にある。
 そこで、消費支出に対する賃金引き上げの影響を総務省統計局「家計調査」のデータより回帰分析し予測値を推計した[2]。その際に、所得階層によるインパクト比較が可能なように2024年春闘結果を踏まえ、階層に関係なく全体の賃金引き上げ率5.2%を使用して推計した。
 2024年の5.2%賃金引き上げは、勤め先収入の実額ベースで583,651円(前年比28,850円増)となる一方、消費支出は337,444円(同18,689円増)と、勤め先収入に占める消費支出割合(以下「勤労収入支出割合」という)は57.8%となった。勤労収入支出割合が最も低くなった2021年よりはわずかながら回復しているものの、2015年頃までの60%半ばの水準に比べると依然として低い。この勤労収入支出割合で見ると5.2%の賃金引き上げがあっても、コロナ禍前で消費税引き上げにより消費が減速した2019年水準にも及ばない。仮に勤労収入支出割合が2000年~19年平均の64.8%に上昇した場合、24年の消費支出は378,487円(同59,732円増)となり一定の効果が認識できる。賃金の引き上げ率だけでなく、中期的に生じている消費活動の変化に対して政策的な視野を強く持つ必要がある。

(資料)総務省統計局「家計調査」を用いた回帰分析より筆者作成

(2)低収入世帯における消費への影響

 次に収入の高低による影響の差異を整理する。定期収入が収入五分位1(2023年の勤め先収入170,970円)に位置づけられる低収入世帯を対象に回帰分析し予測値を推計した(回帰式の考え方や条件は「注2」と同様)[3]
 2024年の5.2%賃金引き上げは実額ベースで179,860円(前年比8,890円増)となる一方、消費支出は252,832円(同4,642円増)と、勤労収入支出割合は140.6%と直近2023年の145.2%よりも低下している。本消費支出には年金所得等が含まれ勤め先収入以外の収入による消費も組み込まれていること、各種給付金等の移転的所得も含まれることなどによりマクロ的には勤労所得を上回る100%以上の数字となっている。この点から収入と支出の概念にずれが生じているものの、年金や政策的移転所得も勤労所得の変動に一定の影響を受けることを前提に推計している。この推計結果でも勤労収入支出割合は、2013~19年レベルに戻っておらず、年金生活者等を含めて低収入層では消費活動に変化が生じていることが分かる。

(資料)総務省統計局「家計調査」を用いた回帰分析より筆者作成

(3)高収入世帯における消費への影響 

 一方で、定期収入が収入五分位52023年の勤め先収入955,513円)に位置づけられる高収入世帯を対象に回帰分析し予測値を推計した(回帰式の考え方や条件は「注2」と同様)[4]
 2024年の5.2%賃金引き上げは実額ベースで1005,200円(前年比49,687円増)となる一方、消費支出は457,937円(同33,706円増)と、勤労収入支出割合は45.6%となった。同割合が2020年よりは若干回復しているものの、2014年頃までの50%超の水準に比べると依然として低い。なお、勤労収入支出割合は、2015年以降急速に低下し20年が底となっており定期収入平均世帯や低収入世帯より1年早い。この理由は、2019年10月に実施された消費税10%への引き上げが高額商品に対する消費抑制として2020年に発現したことが要因の一つとなっている。また、2023年に勤労収入支出割合が低下した理由は、勤労収入以外の預貯金引出・財産売却・保険金受取などの実収入以外受取が小さくなり消費支出に影響を与えていることによる。高収入世帯では金融資産等の要素が消費支出に影響を及ぼすことが見て取れる。

(資料)総務省統計局「家計調査」を用いた回帰分析より筆者作成

3.まとめ

 本稿では、賃金引き上げが消費にどのような影響を与えるかを概観した。賃金引き上げ率が5.2%と高水準であっても、いずれの所得階層とも勤労収入支出割合は高まらず消費支出拡大効果は限定的であり、構造的に生じている消費の変化に対応することが求められる。
 冒頭に述べたように、消費活動を高め国民生活の質を上げるには名目賃金上昇が物価上昇を上回ると同時に、そのインパクトを高めるためには収入を支出にさらに強く結びつける構図の形成が必要となる。ただし、そのためには①物価上昇を上回る賃金上昇を実現することによって企業の収益体力に与える中長期的影響を明確にして経済の持続性確保の視点を持つこと、②勤労所得以外の金融資産収入や政策的移転支出等が消費に与えている影響を掘り下げることが必要となる。そこで次回以降、こうした点について順次掘り下げていく。


[1] 連合「2024春季生活闘争 第4回回答集計結果について」
[2] 二人以上の勤労者世帯の消費支出を被説明変数、勤め先収入・実収入外受取(預貯金引出・財産売却・保険金受取等)・非消費支出(税支払等)・実支出外支出(預貯金預入・保険料支払等)を説明変数とした回帰分析を行った。回帰式は以下のとおり。
・消費支出= 0.63×勤め先収入+0.69×実収入外受取-0.71×非消費支出-0.46×実支出外支出+41,051(重相関R:0.98、重決定R2:0.96)
条件として予測値は、賃金引き上げの影響を見るため、勤め先収入以外は2023年数値を固定とした。
[3] 回帰式は以下のとおり。
・消費支出= 0.46×勤め先収入+0.68×実収入外受取-1.36×非消費支出-0.21×実支出外支出+68,260(重相関R:0.85、重決定R2:0.72)
[4] 回帰式は以下のとおり。
・消費支出= 0.65×勤め先収入+0.78×実収入外受取-0.82×非消費支出-0.55×実支出外支出+47,323(重相関R:0.99、重決定R2:0.99)


若生幸也(わかおたつや)
日本政策総研理事長兼取締役
東京大学先端科学技術研究センター客員上級研究員

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