レポート・コラム

【政策を見る眼】議員の代表制の意味(2022年5月23日)

議員の代表制の意味

宮脇 淳

18世紀の英国の政治思想家であるエドモンド・バークは「保守思想の父」と呼ばれ、その演説で以下のように述べている。「皆さん。確かに、選挙区の有権者としっかりと結びつき、密に連絡を取り、率直なやり取りをするのは、代議士(a representative)にとって幸福かつ光栄なことに間違いはありません。代議士にとって、有権者の願いは非常に重大なものであるべきですし、有権者の意見は高く尊重されるべきですし、有権者の用件には絶えず注意が向けられなければなりません。代議士にとって、自分の休養や、楽しみや、満足を、有権者の皆さんのために犠牲にすることは義務なのです。とりわけ、そしていかなる場合でも、代議士は自分の利益よりも有権者の利益を優先させなければなりません。しかし、偏向していない意見、成熟した判断、正しくひらかれた良心などを犠牲にしてまで、皆さんにも、皆さん以外の誰かにも、そしてどんな人たちの集まりにも、仕えるということはできない。それらは、自分の喜びを得るためのものではなく、また法や憲法から導き出されたものでもありません。それらは神から与えられたものであり、それを濫用しない責任があるのです。代議士が皆さんに負っているのは、ただ勤勉に努力することだけではありません。判断にもまた責任を取らなければならない。そして、自分の判断(judgement)を犠牲にして皆さんの意見(opinion)に従うということは、皆さんに仕えることではなく、皆さんを裏切ることを意味するのです。」(Edmund Burke, “Speech to the Electors of Bristol”, 1774, in Select Works of Edmund Burke, Miscellaneous Writings, Liberty Fund, 1999)

日本国憲法第43条では、国会議員について選挙区の代表ではなく「全国民の代表」としている。この点は、地方議員にも共通する。しかし、選挙区選出の議員であることと全国民・全住民の代表であることを両立させることは可能か。国会議員、地方議員を問わず、選挙区制度による普通選挙制度を採用する以上は、有権者の意志の重視は避けて通れない現実もある。有権者の「意志」に選挙で選ばれた議員の行動や議会で表明する意思がどこまで拘束されるのか、代表民主主義の基本として重要な論点となる。すなわち、代表民主主義における「代表」とは何を意味するのかの問いかけであり、具体的には、選挙で選ばれた議員は有権者の意志に従属するのか、それとも一定の自律性があるのかの問題である。この問いかけに対するひとつの考え方としては、委任・命令関係として捉える視点がある。選挙区の支持者や支持母体の意志に、個々の議員の政治行動は拘束される。すなわち委任・命令関係にある場合、委任者・命令者である支持者や支持母体の意志に反する行為を行ってはいけないという厳格な関係にあると考えることになる。

以上のように委任・命令関係と解することが適切であるか。有権者や支持母体の意志を「尊重」することは大切である。但し、そのことと有権者の「意志」に首長や議員等政治家が「拘束」されることとは前述のエドモンド・バークの指摘にもあるように別である。政治家として有権者の意志を尊重しつつ、それとは異なる「判断」を行うことが許される要件として、第1は、首長・議員を問わず自らの政治姿勢や政策理念を明確に有権者に選挙時から伝えており、その姿勢・理念に基づき判断を行っていること、第2は、有権者等の意志と異なる判断を行った理由を根拠(エビデンス)をもって明確かつ具体的に伝えること、すなわち説明責任の徹底である。有権者等の「意志」を尊重しつつ政治家としての姿勢・理念に基づき、自律した「判断」を行うことであり、そこでは「判断」を行った根拠を自ら示す説明責任が果たされることで正当化される。そして、説明責任とは意志決定の根拠だけでなく、それにより生じた結果に対する責任も説明する意味であることを忘れてはならない。

宮脇 淳
日本政策総研理事長兼取締役
北海道大学名誉教授

20220523_政策を見る眼「議員の代表性の意味」(宮脇淳).pdf
TOP